月刊 茶句里 SAKURI

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小春日いろ

やわらかな陽射しに包まれながら、小春日和が続いている。
小さい頃に、「空は青い、絵本の中の背景も青い、それなのにどう
して目の前の空気には色がないのか」と一生懸命に考えていたこ
とがあったが、こうして冷たく澄んだ冬の気配の中で穏やかな陽
気を感じていると、「これは小春の色だ」と思えてくるから不思議。

つづき…
# by mille-ka | 2009-12-02 22:41 | たんぽぽ考

手紙のこころ

ここのルールを全く無視してしまっている。

つづき…
# by mille-ka | 2009-12-02 00:17 | たんぽぽ考

整体日和 <01>“根”に気づく時

今日は整体のお教室の日でした。
モチベーションの高いお二人とのレッスンは、いつもとても充実した
気持ちで幕を閉じます。

つづき…
# by mille-ka | 2009-11-30 20:24 | 整体日和

ミチのトモ

先日、これから始めるボランティアの関係で健康診断を受けること
になり、久しぶりに病院に「受診」へ行ってきた。
待ち合い室で名前を呼ばれるのを待っていると、前の席に座ってい
る男性が開いているページの大きな見出しが目に入る。
「政府の道具になるな!」

つづき…
# by mille-ka | 2009-11-30 00:04 | たんぽぽ考

空ノ絵

不思議な一日だった。
いつか目にした一片の空の景色が、前ぶれもなく脳裏に浮かんできては、思わず心が奪われる。
ふとした拍子に、あの不思議な雲の整列が思い出されて仕方がない。
のっぺりと透明な青い空の一画に、扇形の貝殻を奥から順に縦に並べ、何列にも敷き詰めて一枚の大きな扇子を模ったようなその雲が、秋の雲である「うろこ雲」の貴重な姿だったとは後から知った。

この空を見上げたのは、つい二日前の朝、駅から店に向かう公園前の坂を下りながら…とまで思い出した時、はっとした。

「人は悲しいときに空を見上げる」、という言葉が聴こえてくる。

そうだ、あの時私は悲しかった。
あの空の絵を映した瞳の下には、わりきれない心が宙ぶらりんになっていた。

前日に、大切な人の訃報をきいた。
銀座でギャラリーを開かれているご主人で、喫茶店で何気なく手にした彼の本から、溢れるほどの優しい眼差し、「美」を求め続ける魂の品格を感じて心惹かれた。
気のいい場所には気のいい人が集まるように、「本物」の人のところには「本物」が集まる。
魯山人の器を多く扱い、奥村土牛の書をみせてくれることにも興味があった。
急遽早めに仕事が終えられる日ができ、今日は行ける!と彼のギャラリーの閉館時間を調べたときに、その二週間前に急逝されたと知った。

それからは、やりきれなさと、悲しみきれない後悔の波に浮かんでいた。
それでもあの時、坂を下りながら見上げた秋の空は、どこまでも澄み渡って美しかった。
魂に眼だけがついて、意識ばかりがうるさいような自分がシーンとする。

そして、何故だか不意に、小学生の時にひそかに持ち歩いていた「雲の下敷き」のことが思い出されて、それを誰からともなくもらった時の喜びがこみあげてきた。
不思議な形の雲を見るたびに、雲の名前を全部覚えてしまいたいと真剣に思っていた私は、色々な表情の雲の写真とその名前が載った下敷きが手に入った時、これほどの宝物はない、と本気で思った。

それでも、そんなことは忘れてその次の日もふわふわと悲しかった。

なのに、その翌日の朝には、ずっと充満していた疑問も悲しみもまるごと自分の存在から抜け落ちて、頭の中に奇妙な雲だけが浮かんでいた。

“忘れていた”というよりも、昨日まで取り巻いていた悲しみや疑問が、まるで記憶の中から“無かった”ことのようになっていたことに驚いた後、何かがストン、と落ち着いた。
うまく説明はできないけど、自分の中ではハッキリわかる。
“あの空の姿は、昨日まであった悲しみの影なんだ”。

「記憶は物質だ」ということを、最近知っていたことが大きいのだと思う。
今年一番の愛読書となったその本は、脳の物質を研究している方との話の中で、「記憶は物質として保存される」ことを教えてくれた。

「悲しみ」自体は“記憶物資”として残らないが、悲しみの中で心を慰めてくれた光景が、“記憶物資”として残ったということか。

「悲しみ」は常に新鮮である。「今」の自分にしか味わえない。
「悲しみは自然治癒力である」と、最近出席した講演会で帯津良一先生はおっしゃっていた。
だから、「取り出せるものではない」と。
「悲しみの中に癒しがある」と聞いた時、つねづね私は、「悲しみ」とは傷ついた心に差し出された柔らかい椅子だと考えていたので、何か通じるものがあるようで嬉しかった。

ところで、先程から、ずっと目の奥に浮かんでいる空の絵がある。
高校生のいつ頃か、それまで疑いなく目指してきた将来の夢を諦めると決めた時、ひとり、部屋の窓からゆうゆうと透き通った青空と、ぽっかりといくつも浮かぶ雲を飽きずに眺め続けていた日があった。
絶望の底から空を見ながら、胸の中は目の前の青空がそのまま流れ込んできたかのように、静かに、晴れていた。
どこまでも続く青空の下で、「私」という、全く無力な、「私が私であること」自体がこの世界には何の関係もないように思える「一人」が存在する不思議を眺めていた。
あの時も、私の心は悲しみの椅子に腰を下ろして、目線の先をただ眺めながら、再生の時を待っていたのだと思う。

「悲しい人にだけ見える美しい世界がある」という倉嶋厚さんの言葉が胸に浮かぶ。
宇宙に続く空の下、たくさんの心と身体と魂が、生きる悲しみに身を寄せて、目の前の景色を味わいながら輝いている、と想像してみる。
空さえ覆う永遠のようなものが、自分が地球の一部のはかない細胞にすぎないことを教えてくれる。
# by mille-ka | 2009-11-28 22:19 | 曇り時々晴れ

種を蒔く

育ててこその「出会い」の種。
思うに、時間ではなく、想いや感動の濃度に比例して、「出会い」
の芽は伸びていく。
「人」との出会いはもちろんのこと、本や言葉、絵画や音楽、風景、
文具や食べ物… 人は出会う喜びを食べて生きている。

つづき…
# by mille-ka | 2009-11-28 00:30 | 曇り時々晴れ

初心

「無能無才にしてこの一筋につながる」 松尾芭蕉

この言葉に感動できる全ての人を、私はこの道の師と思う。
# by mille-ka | 2009-11-27 00:00 | 私の好きな言葉