月刊 茶句里 SAKURI

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カテゴリ:たんぽぽ考( 170 )

おもてとうら

 美しい。読み終えた一冊の小説を振り返ったとき、そんな言葉が、ひとつの結晶となって胸のうちに浮かんできました。
 その小説とは、昨年、芥川賞を受賞された羽田圭介さんの『メタモルフォシス』(新潮社)です。
 SMプレイに深入りしてゆく主人公の男性。彼の身体から透けて見える、社会の病。痛みと快感。身体と救済。狂うことと信仰の根っこの違い…いろいろに思いを巡らせています。

 ここ数日間、読後に浮かび上がった「美しい」という感触につかまって、その正体をさぐりながら、整体をしているときにも感じられる「美しい」という感じにも思いを馳せていました。
 視覚によるそれではなく、「美的感覚」なんて名付けられる以前の、触覚的な「美しい」という感じ。
 愛しい。尊い。そんな、いのちに対する憧憬(生物だけでなく、本や小説そのものにも「いのち」があるように思います)と区別なく感じられる、「美しい」という肌触り。その静かできらめいてなめらかな感触を繰り返し心のなかに呼び起こしながら、「痛みそれ自体のなかにある治癒力」というものを考えています。

 余談になりますが、昨年の秋、作家の中村文則さんと羽田圭介さんのトークイベントにうかがいました。
 中村文則さんは、振る舞いがおしゃれでお人柄の奥床しさがにじみ出ている(失礼な言い方を許して頂けば)憧れのお兄さん、という思いがしました。羽田圭介さんは、烈しい発言と謙虚な心根、投げやりな物言いとその裏にある誠実さが、爽やか!握手をしてくださったときのあたたかさと丁寧な物腰に、打たれました。
by mille-ka | 2016-01-29 23:48 | たんぽぽ考

今宵

 今日は新月。
 先月訪れたバリでは、毎月、新月と満月の日には村ごとの寺院でお祭りが開かれます。
 そんなお祭りの雰囲気にふれたくて、昨年につづき今年も、満月の日と重なる日程でバリに渡りました。

 満月の日には、朝から、道のあちらこちらで、お化粧をきっちりとして腰に鮮やかな色合いのサロンを巻いた女の人たちや上下白い服の正装をまとった男の人たちを見かけました。
 華やかな姿を視界に映すたび、見ているこちらも心が弾んで、からだいっぱい、晴れ晴れとした気持ちに染まります。神様とお祭りを大切にしているバリの人たちの心根から、清々しい気が伝染してくるのでしょう。
 
 バリには、病院の医師とは別に、昔からそれぞれの自宅で人々に治療をおこなうシャーマンや治療者がいます。
 伝統的なシャーマンや治療者も、原則、新月と満月の日には治療を休みます。この日は、神様にお祈りを捧げる大切な日だからです。

 いつからか、新月と満月の日の朝晩には、バリの先生たちを心に浮かべながら、心がけて静かな時間をもつようになりました。 
 バリの治療者は、知識や技術以前に、自分に治療をさせている神様と「つながる」ことが一番大事だと言います。
 からだに携わるひとりとして、この「つながる」ことの大切に思いを巡らせています。
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今年のはじめに友人がプレゼントしてくれたキャンドル。
満月と新月の夜に灯して、癒されています.・*
by mille-ka | 2015-12-11 23:30 | たんぽぽ考

花束

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先日、こんなに素敵な花束をいただきました。
小学生のなっちゃんがつくってくれた、折り紙の花束です。
整体を受けにお越しくださっていたお父さんとお母さんとの入れ替わりの時間に、ちらりとお店に顔を出してくれた小学生のなっちゃんからの贈り物。
なっちゃんから花束を受け取った瞬間から、心にもお花が咲いたようにときめいています。一輪一輪にこもった心の姿を、受け取った私も大切に心に写し取ってゆきたいです。
by mille-ka | 2015-12-08 09:09 | たんぽぽ考

MINERAL SHOW 2015

 午前中、池袋のサンシャインシティで開かれているミネラルショーへ行ってきました。
 昨年、化石好きの友人が、三葉虫の化石を見せてくれながら池袋のミネラルショーに行ってきたことを満面の笑みで話してくれたことがありました。
 そのときからずっと行ってみたいと思っていた、石のお祭。
 楽しさは…想像以上!(人の多さも、想像以上…!)
 会場を巡りながら、自然の結晶はこんなに美しいものかと、驚きとときめきとの連続に元気がみなぎってきました。

 会場の売り場の3割以上は、外国のかたが売り手としていらしたように思います。
 整体の創始者、野口晴哉先生だったら、こんなときも売る側の人の「顔」を見て買うかどうかを決めるのだろうな、なんて心に浮かべながら、あっ、この石いいな、と目を奪われて顔をあげると、晴れ晴れとした良い顔をしたお店のかたが。気持ちよく石を選んで満足、満悦。

 会期は今日から4日間。
 石から立ちのぼる時間と気にふれに、またぜひ足を運びたいです。
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 ライムストーンのブックスタンド。掘り出し物!
一緒に行ったエミさんと、半分こずつ分け合って二種類の彩りに♪
 
 前から憧れていた琥珀の原石も、なんとワンコインでいただけて、胸のなかがほくほく。原石のおさまった箱のなかには、「樹液とともに2〜3000万年前の植物や小さな虫が取りこまれているものもあります」と書かれた紙が入っていました。
 「石はエライ!」
はるか昔から今に生きている石を前に、思わず、心のなかで叫んでいました。
by mille-ka | 2015-12-04 21:12 | たんぽぽ考

12月1日

今日からいよいよ、12月。
今年も残すところ1ヶ月となりました。
新年の扉を元気よく開けられるよう、年末のせわしなさに流されず、呼吸を整えて、一日いちにちを大切に味わってゆきたいですね。

今日は、仕事の合間にひょいと時間ができたので、美容室へ行ってきました。
ああ、あそこへ行ける。
そう思うだけで、ほっとしてして心が軽くなるような、信頼できる美容師さんとあたたかい空間があるありがたさを思います。
私もまたそんな場所でありたいと、清々しい気持ちで初心に戻れたはじまりの一日。
整えるべきは、まずは自分自身から。
からだの弾むような心地から、リフレッシュの大切さをあらためて確認していました。

今月も、からだの声に寄り添って、活気と笑顔の循環を生み続けていきましょうね。
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写真のお人形。こけし職人さんが作ったサンタクロースとスノーマンなんですよ。
光っているライトは、蚕でできているランプです。
小さくても、大きな安心で包んでくれる手作りのものたち。
これから寒さも本番を迎えますが、もののぬくもりも栄養にして、心ははほかほかと保っていたいですね。

【★】
一週間ほど前に書いてこちらにアップしていた記事(三峯神社と秩父神社へお参りに行ったときのこと)を不手際で削除してしまいました…うーん、なんともなんとも。
呼んでくださったみなさんのなかに少しでも秩父旅で感じた心地よさが伝わっていれば、嬉しいです。
by mille-ka | 2015-12-01 23:20 | たんぽぽ考

波紋

 「この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない」
 監視体制の敷かれた旧東ドイツが舞台となった映画『善き人のためのソナタ』のなかで語られたこの言葉を、最近ふと思い出していました。
 国家の秘密警察の局員である主人公が、反体制の疑いをもたれている劇作家と恋人との会話を盗聴しているシーンのなかで、美しいピアノソナタの曲とともに劇作家の男性が口にした言葉です。
 国家の任務のためには、非道な手段もいとわない冷徹な主人公。彼は、盗聴先の部屋から流れてきた音楽に聴き入ったときから徐々に、それでいて決定的に変わってゆきます。

 この映画を観たのは、整体師として独立する前のこと。
 そんな何年も前に耳にした劇中のセリフが今でも忘れられないのは、静かな映像とともに流れていた切ないほど美しいピアノの旋律に胸を打たれながら、音楽の持つ人智を超えた力の働きが整体の響きのなかにもあるはずだ、とひそかに感じていたから。

 今月半ばにパリで起こったテロ事件。事件の詳細と現地の人々の様子を伝える報道が、一週間たった今なお新聞の一面を埋めています。
 はじめて現場の映像を目にしたときには心が駆け出し、パリに住む友人たちに連絡をとっていました。幸いなことに友人たちはみんな無事で、メールでの冷静で心のこもったメッセージに慰められたのは私の方でした。   
 それまでの現実を一瞬で遠のかせてしまった、日常の生活といのちの連帯の破壊。連日の報道を受けとめるなかで、以前、作家の古井由吉さんが「空襲に遭うと、それまで信じていたこと、あるいはやったことがほとんど非現実的になるんです」と話されていたことが、脳裏によぎりました。
 今ここにいては友人の声、先人の声に耳を傾けること、知ろうとすること、心を添わせることしかできませんが、それまでの現実との信頼関係が断絶されるほどの悲劇が、今も世界のいたるところで人の手によってもたらされている現実に思いを巡らせています。
 時間そのもの、空間そのもの、人間といのちとからだそのもののなかにある潜在的な良くなる傾向性を信じ、その力を引き出すように働きかけてゆこうと、強く思います。

 毎日、整体をしています。
 からだを整えることは、自分ひとりだけでなく、自分をとりまく人たち、その土地の気、ひいては世界の平安につながることだと信じてやみません。
by mille-ka | 2015-11-22 09:30 | たんぽぽ考

選ぶということ

 先日、ご近所で開かれていた器の展示にうかがいました。
 手をつないで帰った紙袋の中には、お皿が二枚とグラスが三客。
 視線で器の肌にふれながら、生活をともにする一点を選んでいたときの幸福感。帰り道に感じていた、胸に広がるあたたかさの波。
 器を選ぶことは、自分と生活とのあいだに約束を結ぶことなんだ。個展からの帰り道、ふと、そんなことを感じていました。
 この器に、焼きたてのトーストをのせよう。
 友だちが来たときには、この器にサラダを盛りつけよう。
 朝一番に口にするお水は、このガラスのコップで。
 暮らしを自分のペースで味わう。何気ない時間を心地よさで彩る。丁寧なひとときを自分に、大切な人に、用意して、もてなす。その約束。
 器に限らず、暮らしの道具、身につけるアイテムを、その先の時間を心に浮かべながら選んでいるときには、選ぶという行為を通して、自分の大切にしたい暮らしのありかたを確認し、その時間を実現させる約束を結んでいるのだと思い至りました。
 選ぶことは、自分に約束をすること。
 なんでもないような気付きかもしれないけれど、生活を大切にすることと、器を選ぶこと、自分に約束をすることとが区別なく一体となって今この時間のなかにあることが、たまらなく嬉しく感じられた帰り道でした。

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何年か前に、妹がプレゼントしてくれたクリスタルのサンキャッチャー。昨夕、ひときわ綺麗に輝いていました。
by mille-ka | 2015-11-12 10:30 | たんぽぽ考

リズムとわかちあいと

 すこし前の朝のこと。
 ふとテレビをつけたら(と言っても、家にテレビがないので携帯電話の窓からの映像ですが)、「フランス料理界の巨匠」と紹介されたあとに赤い幕があがり、白い調理服をまとったアラン・デュカス氏が登場したところに遭遇しました。
 花がほころぶようなやわらかな物腰。カドのないあたたかな眼差し。包容力あふれる微笑み。氏のたたずまい全体から伝わってくるのは、志に根ざした明るさです。
 アラン・デュカス氏の姿からどうにも目が離せなくなって、思わず居住まいを正し、のぞきこむように画面と向き合っていました。

 番組のコーナーの冒頭、壁にサインと人生哲学を書いてもらうという流れがありました。
 そこで、氏が書かれたのは、“le partage”。「わかちあい」です。
 「わたしの仕事の中心は、みなさんと、わかちあうということなんですね。まず、知識をわかちあう。そして、レシピをみんなでわかちあう。料理っていうのは、やはり、みんなで、楽しむ。わかちあうものなんですね」。

 シンプルで、なんて豊かな答えなんだろう。
 白髪の美しい氏の横顔を目で追いながら、心がじんわりあたたかさで満ちていました。
 同じ質問を受けたとして、自分だったら、なんて答えているだろうか。
 そんなことを、20年後、30年後の自分に尋ねるような心持ちで、思いを巡らせてもいました。
 
 「わかちあい」。
 自分のありかたの中心を、このひとことで、喜びをもって答えられるようになるには、一日いちにちの実行の積み重ねだなあ。なんて、しみじみと。

 アラン・デュカス氏がテレビで料理を実演されることは、とても珍しいことなんだそう。
 その貴重なお姿を、その時間、といっても十数分ほどだったように思いますが、上等な心地よい音楽に聞き惚れるように、見つめていました。この時間がおわってほしくないと、胸の奥に切ない一点の灯る、たわいないようで特別に幸福な時間が流れていました。
 
 それからしばらくは、日をまたぎまたぎ、不意に何度も、氏の料理をされる姿を思い起こしては、楽しいような嬉しいような気持ちになって、心を躍らせていました。
 材料や時間を数値で計量するのではなく、味見をし、色を見て、触感で確かめながら料理をされる氏の姿は、料理そのものを「奏でている」ようでした。
 氏の手つき、野菜を切る音、混ぜる音。氏をとりまく人と空間、ものの運び。その場の調理の時間ぜんたいが、なめらかな音楽を思わせるものだったのです。
 そんな風に感じられたのも、実際に、氏がそのからだで培われた料理のリズムが、空間ぜんたいに流れていたからなのでしょう。

 若かった頃には、良い仕事をするには、心よりも技術。「真心」なんて、なまぬるい。と、意識するともなく思い込んでいましたが、それは、とんだ間違い。

 整体師になってから、干支を一巡した今。やはり、良い仕事を良い仕事をたらしめているのは、最後には「真心」としか言いようのないものなんだなあ…。そう思っていたところ、「真心」そのものを、言葉ではなくただそこにいるだけで、まさに体現されているアラン・デュカス氏の「わかちあい」の心と料理の「リズム」にふれられたことは、何よりの恵みでした。

 一期一会。今、この言葉が、奥行きと輝きをおだやかに増して、心とからだを包んでいるように感じられます。


【★】
 「かしこさをともなわない勇気はらんぼうであり、勇気をともなわないかしこさなどはくそにもなりません!」
「世界の歴史には、おろかな連中が勇気をもち、かしこい人たちが臆病だったような時代がいくらもあります。これは、正しいことではありませんでした。勇気のある人たちがかしこく、かしこい人たちが勇気をもったときにはじめて—いままではしばしばまちがって考えられてきましたが—人類の進歩というものが認められるようになるのでしょう。」(山口四郎訳)
 昨夕、安全保障関連法案可決のニュースに立ち尽くし、脳裏をよぎったこの言葉。ケストナーの『飛ぶ教室』(講談社)の「まえがき」に書かれた一節です。
 1932年、ドイツに暮らしていたケストナーが、どのような空気のなかで、この警句ともいえる言葉を本のいのちに吹き込んだのか。切実に胸に迫ってきます。

 人類の進歩、いずくにか
 
by mille-ka | 2015-09-18 09:30 | たんぽぽ考

今朝のおと

 東京は、久しぶりに朝から青空が広がっています。連日、地面を打つように降り続けた雨もようやく通り過ぎました。
 雨の日には、心だけでも晴れ晴れと…胸のうちでそうつぶやいて、つとめて明るく保っていた心持ちも、いざ晴れの日を迎えた今、ぐらぐらと。青空の向こうに、各地の災害状況や今なお避難されているおひとりおひとりの大事がいっそう強く思われて、心の置き場所を見失いかけていました。

 朝から繰り返し、ヘリコプターの羽音の響きが窓の外から聴こえてきます。隣駅の市ヶ谷駐屯地から大雨の被害を受けた地域へと向かっているのでしょう。耳の奥底に残るヘリコプターの音を聞きながら、救う人、救われる人のいるありがたさを思います。

 「天災は忘れた頃にやってくる」。
 この言葉はもっともなことで、肝に銘じたい教訓ではありますが、天災が忘れないうちにやってくる昨今の異常気象。「悪い年廻り」にむけて、「良い年廻り」のうちに災禍に備えた用意をしておかなくてはならない、と頭ではわかっていても、備えの追いつかないうちにすべてをのみ込んでしまう自然の猛威を前に、どうあればいいのか。
 今はただ、ひとりでも多くのかたがご無事でいらっしゃることを、心から、お祈りしています。
by mille-ka | 2015-09-11 10:20 | たんぽぽ考

平和の歌

 終戦の日を迎えた今日、心によみがえる一編の詩があります。
 詩人の長田弘さんが、鶴見俊輔氏、高畠通敏氏との鼎談(『日本人の世界地図』岩波書店、1997年)のなかで紹介されていたその詩は、旧ユーゴ出身の詩人、ヴァスコ・ポパの「お話のはなし」。

むかしむかしお話があった
それは終った
はじまるまえに
それは初まった
おわったあとで
ヒーローたち登場
死んだあとで
ヒーローたち退場
生れるまえに
彼らは語った
どこかの大地について
どこかの天空について
彼らは話した
なんでもかんでも
ただ言わなかったことがある
お話のヒーローで
彼らがあるということ
それは自分で知らなかったこと
初まるまえに
おわりがきて
終ったあとで
初まりがくるお話の  
 (長谷川四郎訳)

 長田さんは、この詩を引いたあと、「それによって自分が生かされていると感じられるような物語が、人びとの歴史ですね」とおっしゃっています。

 あたりまえにあるのではない、受け取り、受け渡してゆく「平和」というバトン。歴史を背景に、このバトンを、失うことなく、しっかりと握って、次の世代へとつなげてゆくことが、今、切実に求められています。

 70年前の今日、終戦を迎えた日本で、7年前の今日、今の整体院を立ち上げました。
 整体院を開院したのは、2008年8月17日の満月の日。大安の日でもありました。設立記念日は、お客さまをお迎えした初日にあたる8月17日としてもよかったのですが、心を定めて、8月15日としました。
 そう決めた理由はひとつではありませんが、設立記念日といって浮かれるのではなく、立ち止まり、終戦の日に心を重ね、整体の仕事をしながら生かされているありがたさに感謝を深める日、としたかったという思いは、揺れながらも強くありました。
 揺れていたのは、やはり、個人にまつわる記念日を、はかり知れない思いを抱えた歴史の節目の日に重ねることは不謹慎なのではないか、という迷いがあったからです。結果的に、この7年間、やはり思いは分けて、日を定め直すべきではないか、と迷いつづけることになりました。
 そうした迷いを受けとめつづけてきたことが、8月15日という日と自分なりに向き合い、思いを深め、考えを耕すかたちにつながっていたのだと、今では思います。

 「初まるまえにおわりがきて、終ったあとで初まりがくるお話」の大河のなかに置かれた、今日一日。明日一日。これからも途絶えることなくつづいてゆく、一日、一日。

 一日、一日、心を込めて、これからも整体を届けてゆくことを、誓います。


整体の創始者、野口晴哉先生が、「唯一の師」と仰いだと言われているカザルス。
今夜は、カザルスの「鳥の歌」を聴いています。

 
by mille-ka | 2015-08-15 23:50 | たんぽぽ考