月刊 茶句里 SAKURI

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カテゴリ:本のこと( 7 )

【Diary】 おいしそうな本のタイトル

美容室の鏡の前。
お世話になっている美容師のNさんに髪をあずけて、手にした雑誌のページをサクサクおくっていると、“わっ”。
道端に咲くやさしい色の花に出会ったときのように、思わずじっと眺めたことば。

『もし僕らのことばが
ウィスキーで
あったなら』。

村上春樹さんのエッセイ集のタイトルです。

「このことば、すごい好き」。
向き合うページの中央にどんと置かれた当の文庫の写真を指さしながら、つい反射的にNさんにお知らせを。
「どれどれ」とのぞきこんでくれたあと、手をとめて、うーん、と首をかしげます。
「いまいち?」。
意外な思いでそう尋ねると、「ピンとこないなー」とNさん。
あごに手をあてて首をかしげて、少し困ったように笑う鏡の中のNさんのきれいなシルエット。

見惚れた一段うえの心の層では、へー、おもしろーい、そうなんだー、なるほどなるほど。
違いを知るのって嬉しい瞬間。
気持ちが思わず弾みます。
響くポイントって人それぞれ。
そんなあたり前のことにポッと愉快な気持ちになりながら、「私が整体の本を書くならこんなタイトルにしたいなあ」。
『もしも僕らのことばが整体であったなら』…?
あれれ、何だか違っちゃう、とあれこれと心の中で当てはめていると、「真似はダメだよ」と、やわらかな眼差しでNさんから。

はい。そうなんですが、こうやってね、それぞれに違った感性の中から、私のいいな、と思ったことばに共感してくれた人がその本を手に取ってくれるわけでしょ。だからね、まずは自分の好みが知れてよかった、と言い訳がましくつらつら弁解。
そんなうちに違う話題へ。

『もしも整体のことばが
ポットとお茶で
あったなら』。

そんな本を書きたいと、はじめて思えた瞬間でした。
by mille-ka | 2012-03-04 19:27 | 本のこと

古本小話

学生の頃から、古本屋さんにはとにかくお世話になってきました。
今でも月に読む本のうち、7割ほどを古本が占めています。

古本との関係について。同じ時に買った古本でも、抵抗なくすぐに読める本と、“なんとなく今は違うな”と、読むことを保留にしておきたくなる本とがあって、それとなしに不思議に感じておりました。
今すぐにでも読みたくて買った本でも、家に帰ってから手にしてみると、“なんだか今は違うなあ”と、その古本を、そっと本棚に寝かせることが少なからずありました。

それは、駅に隣接している書店などで新しい本を買った時には起こらない「何か」の気の働きによるものとも思われ、本のテーマや内容の如何に関わらず、こちらの気分によるものとも違い、「本側の事情にある」とうすうす感じてはおりました。
そうしてある朝、思い出したように、本棚に寝かせておいた古本を何気なく手にとった時。
ふと、“そうか、この本は今まで、元の持ち主のことが忘れらずにいたんだな。ようやく今、この家にもなじんで心を開いてくれたんだな”と、頭の中の電球がピカンと光るようにひらめいて、私の中での正解として、今でもそのように納得しています。

古くて汚いとも言える古本が、意外とその日のうちからすんなりと読みはじめられるのは、その本が持ち主の手を離れてから随分たち、幾多の本棚を転々とするうちに持ち主との記憶が遠いものとなったから。
古くて汚いとも言える古本でも、まだ読ませてもらえない威圧感と拒絶感とを感じるものは、ひよっこの私のことをまだ新しい持ち主として認めていないから。

新しくてきれいな古本が何の抵抗もなく読みはじめられる時は、その本が若くて薄情者であるか、前の持ち主にあまり愛されてこなかったため。
新しくてきれいな古本なのに、どうにも読む気になれないのは、私の方が読みたいかどうかよりも、実はお得感に魅かれての“欲しい”だけで買ったから。

本棚に寝かせていた古本を、ふと思い出したように手に取る時。本の方から持ち主として認められたような、名前をはじめて呼ばれたような、そんな気がして、時折り嬉しくなっています。
by mille-ka | 2012-03-01 21:58 | 本のこと

「 三寒の四温を待てる机かな 」 石川桂郎

心のうちでもっとも慕っている作家は、石川桂郎である。
古本市の会場で視線を泳がせながら、そんなことに気がついた。

なにも古本市に行くためにその駅にいたのではなかった。
いつもより早く仕事を終えた夕方。
コンタクトレンズの交換のために、数年来お世話になっている眼科のあるその駅へ、地下鉄に運ばれて降り立った。
検診を終え、新しいレンズを受け取って、駅の入口を正面にして横断歩道が青になるのを待っていると、駅に隣接する百貨店の建物にかけられた垂れ幕のひとつ、「古本市 2階」の文字が目に入った。

あっ、と思った。が、“行きたい”、とは思わない。思わない、意地である。一度本屋に入ると、自分を制御できなくなる。
今月はすでに読みたい本は出そろっている。働いたお金を一男二女の愚息と豚児たちに注いでくれた実家の父親だって、本は図書館から借りている。
知っている。もう、買うな。

私の場合、今日はお酒は少しだけにしておこう、と思っても、一度飲みはじめると、そんな気持ちは平然と踏み倒してとんとんとん、と飲み進めてしまう。
飲むつもりがないのなら、はじめからゼロ、飲まない、ということにした方がラクに過ごせて、一日の終わりに気持ちよく床につけるのである。

古本屋も、買うつもりがないのなら、はじめから足を踏み入れないのが一番である。
古本屋には、人の気持ちをくらませる香気が漂っている。少しだけ、のぞくだけ、という気持ちで足を踏み入れても無駄である。
そんなことは、自分と長年付き合ってくればあたり前にわかっている。
それなのに、もう手遅れだったのか。
いつもなら直進するところで、足が勝手に左折する。具合よく目の前にあったエスカレーターに乗っている。
どんどん足が、進んでいく。
百貨店の壁が流れてゆくのを横目に、あっ、ちょうどいい、原研哉さんの『デザインのデザイン』(これは眼科検診の待ち時間のお供に連れだした本)の中で紹介されていた、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』も買うつもりだったのだ、と都合よく、思い出す。

気がつけば、会場いっぱいに埋め尽くされた本棚の端に立っていた。本が、本が、縦にも横にもたくさん積まれてひしめき合ってここにある。
わあ、いい。
すごく、いい感じだ。開催期間は明日まで。これはもう、縁というものだ、という素直な感動に逆らえない。
さっそく、会場の入口近くにある本棚の前に立って、昔話を集めた森口多里の『黄金の馬』を手にとっていた。
“そうだそうだ”。谷崎、タニザキ、タニザキジュンイチロウと胸のうちで言い聞かせる。

歩をすすめる。
あったー、と心の中で拍手をしてお目当ての本を手に取ったあと、それでもなお本棚の前をうろうろしていると、あっ、と頭の中で光が点滅。
“そうだそうだ、私は石川桂郎の『剃刀日記』を探していたのだ”と、思い出す。
もっともらしく、思い出す。
二年前の夏、『剃刀日記』の存在とともに石川桂郎の名を知った。理髪店の店主から作家になった人物である。
年を二度またいだ今もなお、氏の著作を求める気持ちを失わずに探しつづけていた自分を見つけて、ああ、私の魂の底には石川桂郎氏への敬愛の念が染みついているのだ、と、心のうえを愛おしくなでるような心地で、確認していた。

慕っているわりには、本は一冊しか持っていない。古本としてしか残っていないことも、一因である。アマゾンの古本で買った、『四温』という句集だけが手元にある。
氏の才能には、車屋長吉さんの『文士の魂・文士の生魑魅』(新潮文庫)という本の中ではじめて触れた。『剃刀日記』のなかの一話、「蝶」という短編が全文掲載されていたのである。
読んでたちまち、驚いた。素晴らしいを、越えていた。
以来、「蝶」という短編とそれを抱えた『剃刀日記』、石川桂郎という存在と才能とは、私の中ではなくてはならないおもしになっている。

「蝶」は、私という人間は整体しかできないし、せめて整体ができる自分で良かった、と思わせてくれる、眩しすぎるほどに洗練された一編であった

古本市の会場内。
石川桂郎、イシカワケイロウ、と胸の内で唱えながら、視線が本棚を横断する。
「あっ、これこれ」、「これはなんだ」、「あっ、こんなところに」と、石川桂郎のことを忘れてついつい、他の作家の本に目を奪われながら、ふたたびイシカワ、石川、石川桂郎と思い直す。

一時間ごとにアナウンスされる館内放送を、二度耳にした。
一度目にはハッとして、誰か待っていてくれる人がいるならもっと急げるのだろうか、と不意に思い、それから、「外で母親を待たせている」、という設定をつくって、気持ちを走らせながらも、本棚の前で呼び止められるままに本を手にした。
ああ、なんて図々しい、人を待たせているのに、と心の中で自分をなじりながら、結局、次のアナウンスまでの一時間、心おきなく見回った。

ついになかった。
なかったわりに、いつの間にカゴを持ち、カゴの中には本の山。一冊いっさつ顔を合わせる。
これでも半分以上は削ぎ落した。
志ん生、整体、日本人の起源、谷崎潤一郎、関連の四冊が残った。
最後まで迷った太田和彦さんのお酒の本と開高健の本も、棚に戻した。
『黄金の馬』も、最後のさいごでしぶしぶ、やめに。

棚に本を戻しながら、小さい頃、父とスーパーへ出かけた時のことを思い出していた。
光まぶしいスーパーの中、父はぽんぽんポンポン、カゴの中に目についた欲しいものを入れていく。
母におつかいを頼まれた食材以外の、酒の肴の練り物だとか、ハムやお菓子だとか、そんなものがどんどん増える。
10代をすぎたばかりの年頃だった私は、これは高いよ、これはいらないでしょ、と言っては、同じ種類の中からもう少し安くなっているものと交換をしたり、コソコソと棚へ返しに戻った。
ケチやなあ、とか、チカと買い物するとツマランわ、と父がおかしそうに言っていたことが思い出されて、なつかしかった。
きっとあの時の私の行動は、母の真似である。いつもの母の役をかぶって、満足していたのだろうと、あたたかい気持ちが胸に広がる。
古本屋にいる時には、自分の中に、父の背中とその血を監督していた母の存在とが感じられて、おもしろい。

【追記】
今朝、アマゾンで『剃刀日記』は今いかほどか、と調べると、大変に驚いた。
なんと、去年の末に復刊されていたのである。
せっかく探してきたのに、嬉しいような、淋しいような。でも、やはり、直接に出会うまでは、一冊との縁を求めていきたい。
そして、二年前に私が買いよどんだネット上での『剃刀日記』の古本は、その時の価格よりも三倍以上になっていた。
お金で買えるからこそ、大切にしたい物は、簡単には買えずにいる。
by mille-ka | 2012-02-15 21:35 | 本のこと

Diary : 本の焦り

本好きである。(今さらですが。)
好き、と言うより欠かせない。
歯を磨くのが欠かせないのとよく似ている。
磨いた後にはすっきりするけど、そのすっきり感はあくまで結果
で毎日の歯磨きも読書も単に歯痒さを感じないための、目的の
溶け込んだ日課の一部となっている。

つづき…
by mille-ka | 2010-09-23 10:59 | 本のこと

本の神様ともろもろのこと (1)

本にまつわる話の続きです。
…どうしてだろう、季節の移ろいどきの夜風にあたると、優しくて
懐かしい記憶がよみがえります。

つづき…
by mille-ka | 2010-09-04 22:38 | 本のこと

私軸の本

時計の秒針、分針、時針を中心で固定している留め具を「軸受け金具」
と呼ぶのだと知った。
私の真ん中にも、ちょうどその軸受け金具のような存在の三冊の本がある。

つづき…
by mille-ka | 2010-09-03 09:28 | 本のこと

ホントノデアイ

冷たい雨が降る帰り道、ふらっと立ち寄って本屋の中を散歩した。
カウンターで二冊の本の支払いを終えた時、はっとして思い出す。

つづき…
by mille-ka | 2010-02-16 07:30 | 本のこと